こんにちは!
主夫の ダイナミック忍者(@dynamic_ninjya)です。
「社会の歯車になりたくない。」
とか
「社会の歯車なんかで終わりたくない。」
という言葉を聞くことがありますが、ぼくは「全員が社会の歯車である」と思っています。
今日は、そう思う理由を書いてみます。
「社会の歯車なんかになりたくない。」と思いながら、悩み苦しんでいる人の心が、ほんの少しでも軽くなれば幸いです。
ダイナミック忍者って何者?
と思われた方は、プロフィールページをご覧ください^^
歯車にも個性がある
ひとくちに社会の歯車と言っても様々で、それぞれに個性があります。
色んな大きさ、色んな形があるから、そら噛み合わへんこともあります。
大きければいいってもんでもないし、噛み合う歯車が多いから偉いという訳でもありません。
自分より小さい歯車に動かされたり、自分より大きい歯車を動かすこともあります。
多くの歯車を巻き込んですごい勢いで回るヤツもいれば、引きこもって回ってないように見えるヤツもいます。
それぞれが重要な歯車1つです。
回されることも必要
そして歯車だからと言って、誰かを回さなければならないということはありません。
回される歯車もないと、抵抗がかかりすぎて、社会はうまく回りません。
たとえ上手く噛み合ったとしても、「我が我が」と自分で回そうとする歯車ばっかりだと、全然前に進めませんよね。
回すも個性、回されるも個性。
両方必要です。
社会の歯車であることは不可避
たとえば、引きこもって自分では回っていないつもりでも、何かを食べ、トイレで水を流し、ネットに接続しているということは、自分では気づかないほどゆっくりですが、誰かに回転させられています。
そして、ゆっくりでも回っているということは、歯車としての役割を果たし、誰かの役に立っていると言えます。
目には見えないどこかで繋がり、噛み合っていて、どこで何をしていようとも、社会の歯車であることは避けられません。
しかし、歯車として存在するだけで誰かの役に立っているのです。
「回されることが、どれだけ社会の役に立っているか」
自分1人で回っているつもりの人は気づかないし、回されっぱなしの罪悪感にさいなまれている時も気づかない、重要なポイントです。
無理矢理回すから身を削る
社会には無数の歯車があるから、噛み合わない時も当然あります。
時には相手に合わせて、回ることも必要でしょう。
ただ、噛み合わないところで長時間回り続けようとすると、自分の身を削らなければなりません。
そして削りすぎると、心まで擦り減ってしまいます。
「社会」ではなくて「会社」の歯車になりたくない?
「社会の歯車になりたくない。」と思っている人のほとんどは、「社会」ではなくて、「会社」の歯車になりたくない、のではないでしょうか?
自分の形と異なる歯車の多い「会社」という箱の中で、無理やり合わせ続けて身を削っているから疲れ果てる。
心まで擦り減ってしまう前に、ほんの少し勇気を出して、その箱からポンと飛びたしてみてはいかがでしょうか?
広い社会、無数の個性。しっくりくる場所は必ずあります。
「社会の歯車」上等
ほんのちょっとだけ勇気を出してポンっと飛び出し、コロコロコロコロ転がって、スポっとハマるところにたどり着いた時、今まで見たこともないような「オモロいからくり時計」が動き出します。
転がりすぎて路頭に迷って、暗い部屋という箱の中に収まってる人もいるでしょう。
でも、「オモロいからくり時計」が今は見えなくても心配はいりません。
この記事を読んで、トイレの水を流すだけで、その「からくり」の一部を担っているのですから。
ぼく自身、「うつ」という暗黒の箱の中から、人の力を大いに借りながら這い出して、コロコロコロコロ路頭に迷いながら、ようやく「主夫」という未知の箱にスポっと収まりました。笑
だから、たとえ今は目の前が真っ暗でも、心まで削ってしまわないでくださいね。
「社会の歯車、上等!」ですよ。
悩みを吐き出してみませんか?
ぼくは今、「チャットdeお悩み相談」という取り組みをしています。
知り合いだと話しにくいこと。
面と向かっては言いづらいこと。
恋の悩み。ウツの辛さ。
なんでもチャットでお聴きします。
偉そうなアドバイスは一切しません。
ただただ、しっかり聴きます。
[…] 以前、「社会の歯車上等(過去記事)」にも書きましたが、人は社会の歯車として、どこかしらと繋がっています。 […]