「自由を奪われている」のに
「不自由を与えてもらって、ありがたい」と思ってしまってるんちゃうかなぁ。
ある程度の縛りがある方が生きやすい。
宗教はその最たるもんやと思う。
「どう生きたら良いか?」「なんぜ生きているのか?」
自由に考えて良いもんやけど、考えても答え出そうにないし、
その答えを示し、進むべき道を照らしてくれるものを基準にするのが楽だ。
65歳まで耐えしのげば自由になれる。
これも一種の宗教みたいなもんで、そんな保証はどこにもないけど、今あれこれ考えるのも面倒やし、答えの出そうにないものに悩むよりは、拘束があるほうが考えずに済む。
宗教にしても、上のような考え方にしても、それを否定しているのではないけれど、
その縛りによって、人間の可能性はかなり抑えられているように思う。
だからと言って、答えの出ないことに悶々として、動けなくなるのは本末転倒やけど。
「人間の歴史は繰り返す。」
とか
「日本人は農耕民族としての伝統がある。」
と言った過去を基準にした考え方で捉えていたら、歴史は繰り返すんやろう。
基準を自由に、オモロい未来に設定していきたい。
夜のベッドではどMでもええけど、
人生においては「縛られる心地よさ」は捨てて、心を解放したい。