団結よりも許容が大事

ダイナミック忍者(@dynamic_ninjya)です。
人が協力し合う時は、

①同じ目標を共有できた時
もしくは、
②同じ敵が現れた時
やと思う。

だから「世界平和」が訪れるとしたら、

①人類共通の目標が出来た時

②宇宙人が攻めて来た時
かなぁと思っていた。

②の現実味は低いかも知れへんけど。
①の要素として、「地球温暖化」というのは大きなキーワードなんかなぁ、と思って来た。

でも、最近はそれってホンマかなぁと疑問を抱いている。
温暖化の真偽はともかく、同じものに向かう、ということが果たして平和への道なのか?

もし「温暖化対策」を絶対的な目標にしたとする。(すでになっているが)

そうすると、
「温暖化に疑問を持つ人」や「温暖化したら嬉しい人」
は目標達成への障壁となる。

「みんなで達成しようとする風潮なのに、何を言っているんだ。」

と、そういう人を排除しようという動きも出てくる。

これは僕の得意の妄想でも何でもなくて、温暖化懐疑論を唱える学者が、実際にトンでも学者というレッテルを貼られたりしている。

温暖化問題だけでなく、宗教にしても、ベジタリアンにしても、オーガニックブームにしても。

自分が良いと思って、それを人に勧める。
だから、笑顔も広がる。
しかし、

「そうでない考えの人を認める。」

という大前提がそこになければ、差別やいじめへの大きな原動力にもなりかねへんと思う。

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