我が輩はクソである

我が輩はクソである。名前は、ある!

一般常識とか世間体からすれば、自分なんてクソや。
そう思ったとしても、そこからどう動くがポイントなんかなぁと思います。

そのまま下水に流される「う◯こ」のごとく、社会の常識という流れに流され続けるのか?

はたまた、流れから飛び出すのか?

例えクソだとしても、岸辺へと泳ぐ腕がある。
陸を進む足がある。
そして何よりも、それを選択する意志がある。

その流れから一歩踏み出して、自分の畑を見つけに行こう。
そこには君を求める微生物がいる。
彼らと力を合わせ、新しい生命を生み出そう。
キャベツかな?アジサイかな?それとも、鳥たちの休む大樹かな?

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